ソウルに旅行した際ソウルのデモについて深く考えさせられました。
ソウルのデモの存在意義は何か?ソウルのデモについてレポートします。
ソウルでのデモが問題になり、時としてニュースになっています。
(牛肉や狂牛病がからんだときもありました)
デモというと、たとえそれがソウルであっても、どことなく社会への不満をぶつけてくれていると思い
どことなく共感を覚える人もいるのではないでしょうか?
しかしながらこのソウルでのデモのあり方が問われています。
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ある日のメディアが伝えたソウルのデモの様子です。
ソウル徳寿宮の前から南大門までの300メートルの10車線道路が2万のデモ参加者によって埋め尽くされた。
多くがマフラーで顔を覆った群衆の所々に、赤や青に彩られた大きなのぼりが目に付いた。
徳寿宮の前にはトラックの荷台による即席の演壇が設けられ、そこへ入れ代わり立ち代わり演者が登場しては
一般人にはまったく理解不能な大声を上げていた・・・。
10車線の道路をソウルのデモ隊が埋め尽くし、意味不明な声を挙げられるだけでは
それはデモというものとはかけ離れたものなのではないでしょうか?
ソウルでのデモは、本来のでもとは異なるものであり、ただ社会に対する不満をぶつけるためのもの
として嫌われる存在となっているようです。
ソウルでのデモでは数万枚のビラが投げ捨てられたり、デモ参加者が捨てたタバコの吸い殻などが散らばっており
ただデモという名目だけでソウルをひどい状態にしてしまっているという問題があります。
ソウルのデモ参加者の多くは労働者ではなく学生などが多く、多くのソウル市民に迷惑と混乱を招く存在となってしまいました。
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